ある専門家が一般の成人男女を対象にした統計によると、女性はおよそ一日20000語、男性は7000語を話すという結果が出たそうです。この数字から言える一つを挙げるならば、一日に何語話したにせよ、言葉を使用するという行為そのものが、男女にかかわらず重要であるということです。毎日私たちは言葉を話しています。仮に話しをまったくしないとなると、途端にいつもの日常ではなくなってしまいます。すべてを人に任せて、これまで通りに当たり前の毎日を送る想定はできないはずです。
日々言葉を話す一方で、言葉のもつ力という側面にはあまり注意を払うことはありません。近い将来の目標や、遠い未来の夢を思い浮かべることはあっても、日常的に使っている言葉が周囲に対して与える威力を振り返る機会は滅多にないのです。自分が発した言葉を聞く相手に、その言葉がどんな影響を及ぼし、どう作用しているのかを。
聖書によると、言葉はニュートラルではないようです。言葉には力があり、善も、そして害をもたらしもするとあります。言葉はそこまで日常を変えてしまうものなのでしょうか。
「生も死もその力は舌に宿る」ー 箴言18:21
「同じ舌で神を賛美しながら呪いもする」ー ヤコブの手紙3:9
もし言葉の力を疑うならば、これまでの過去を振り返ってみてください。言葉に傷ついたことはありますか。または慰めや謝罪の言葉を望みながら、それが得られなかった経験もあるのではないでしょうか。
先日、子どもたちと泳ぎに行ったプールから帰る車の中での出来事です。息子の考え込んでいる様子に気がつきました。尋ねると、冬休みに帰省したアメリカで見た出来事を話し始めました。グランパとグランマ(私の両親のことですが)のやりとりをどうも目にしたようなのです。数ヶ月前に目の前で起こったことを息子は今でも理解に苦しみ、彼なりに理解しようとしているのでした。それは私がちょうど息子の年齢だった頃、私の両親が別々の人生を選んだことでした。グランマとグランパに起こったことが事実ではなかったと信じたい。でもその一方で、もう夫婦という関係ではないという現実がある。
「東京に帰る日、飛行場まで見送ってくれるグランマが、グランパの家にいたぼくたちを迎えに来てくれた。グランパにさよならをしたとき、グランパとグランマは顔を見ないで握手して言ったんだ。『グッド・バイ』って。」
おそらく息子は、これからこの二人が長いこと会うことがないと知っていました。(もし会うとしたらいつなのか。ぼくが帰省したときなのか。そして、また二人はぎこちない握手をし、門をくぐることなく去って行ってしまうのだろうか。)息子は私が随分昔に見慣れてしまっていた光景に気がつき始めています。「パパそっくりのグランパと優しいグランマ、初めのはじめは、結婚していたんだよね?」なぜグランパとグランマはもう一緒に住まないと決めたのか。仲良く暮らすことは不可能だったのか。ちょうど私と同じ年の頃のように、息子が今永遠に終わらない疑問と闘っているのが見て取れた私は、その葛藤を手に取るように理解しました。
私の本心はというと、まだこの出来事全部を脇にのけておきたかったのです。まだ心のどこかで当時のまんま残っている、整理のついていない部分なのかもしれません。このことになると、大きな痛みと後悔が押し寄せるのを避けることができないのです。しかし、今や息子が本当のことを知りたがっている。分かるように説明してもらうのを待っている。私は彼の質問を遮ることができませんでした。
私の答えは完璧ではなかったかもしれない。けれども、私の足りない言葉はプールの帰り道の会話には十分だったかもしれません。私が両親から受けた説明は、彼らの結婚生活で起こった多くの失望についてでした。別々に分かれる道を選択するほとんどの夫婦がそうであるように、書類にサインをするずっと以前から、すでに気持ちは別れてしまったも同然の状態でした。
どこでそうなってしまったのか。どの地点で、お互いの心が離れてしまったのか。本当のところは私にも分かりません。 子どもであった私が言えることは、 夫婦関係が終了したと思う時点よりも遥かに以前から、すでにお互いの感情を伝え合うことを放棄していたということです。両親の場合は、傷つけ合い、ののしられた言葉が関係を悪化させたのではありません。むしろ掛け合う言葉そのものが足りなかったのです。 水をかけてもらえずにしぼんでしまった花のように、関係をつなぐ言葉そのものが十分に交されてはいませんでした。それが二人の関係を少しずつ、しかし着実に蝕んでいるとは気がついていなかったのです。
そして他人同士になりました。 父は家庭を顧みずに働き過ぎたのかもしれません。母はある地点で最善の選択ができなかったという後悔が今でもあるようです。どのような理由であったにしろ、当時の彼らの会話はすっかり干上がり、二人の関係には親密さがとうに欠けていました。愛のある言葉、相手を労る言葉は、もう長いこと話していない外国語のように、話す意欲さえ放棄してしまっているようでした。以前には確かに愛の宿っていた関係が、いつしか言葉を掛ける行為さえも不自然になったということなのでしょうか。何十年も後の、あの日の握手が今でも象徴しているように。
その晩、私と妻を初めて出合わせてくれた言葉を、もっと使うのも悪くないと考えました。夫婦の関係は、もっと饒舌であってもよいのかなと。言葉の数と、そこに気持ちと意図が込められているならば。でなければ、意味の薄い言葉をどれだけでも並べるのは、人にとっては実に容易いことなのですから。
子どもたちは両親の様子に敏感です。そして会話にもよく聞き耳を立てています。それはきっと自然にそうしているのでしょう。私たちが子どもたちにできる最大の贈り物は、お互いに自分を捧げ合うという姿勢を示すことです。私たちの言葉を通して。口任せでもなく、ぶしつけでもない、思いやりの言葉が飛び交う日常を一緒に過ごすこと。子どもたちは、親からのそのような贈り物をきっと期待しています。それは、私たちがそのような言葉を口にすることからのみ始まります。
日々言葉を話す一方で、言葉のもつ力という側面にはあまり注意を払うことはありません。近い将来の目標や、遠い未来の夢を思い浮かべることはあっても、日常的に使っている言葉が周囲に対して与える威力を振り返る機会は滅多にないのです。自分が発した言葉を聞く相手に、その言葉がどんな影響を及ぼし、どう作用しているのかを。
聖書によると、言葉はニュートラルではないようです。言葉には力があり、善も、そして害をもたらしもするとあります。言葉はそこまで日常を変えてしまうものなのでしょうか。
「生も死もその力は舌に宿る」ー 箴言18:21
「同じ舌で神を賛美しながら呪いもする」ー ヤコブの手紙3:9
もし言葉の力を疑うならば、これまでの過去を振り返ってみてください。言葉に傷ついたことはありますか。または慰めや謝罪の言葉を望みながら、それが得られなかった経験もあるのではないでしょうか。
先日、子どもたちと泳ぎに行ったプールから帰る車の中での出来事です。息子の考え込んでいる様子に気がつきました。尋ねると、冬休みに帰省したアメリカで見た出来事を話し始めました。グランパとグランマ(私の両親のことですが)のやりとりをどうも目にしたようなのです。数ヶ月前に目の前で起こったことを息子は今でも理解に苦しみ、彼なりに理解しようとしているのでした。それは私がちょうど息子の年齢だった頃、私の両親が別々の人生を選んだことでした。グランマとグランパに起こったことが事実ではなかったと信じたい。でもその一方で、もう夫婦という関係ではないという現実がある。
「東京に帰る日、飛行場まで見送ってくれるグランマが、グランパの家にいたぼくたちを迎えに来てくれた。グランパにさよならをしたとき、グランパとグランマは顔を見ないで握手して言ったんだ。『グッド・バイ』って。」
おそらく息子は、これからこの二人が長いこと会うことがないと知っていました。(もし会うとしたらいつなのか。ぼくが帰省したときなのか。そして、また二人はぎこちない握手をし、門をくぐることなく去って行ってしまうのだろうか。)息子は私が随分昔に見慣れてしまっていた光景に気がつき始めています。「パパそっくりのグランパと優しいグランマ、初めのはじめは、結婚していたんだよね?」なぜグランパとグランマはもう一緒に住まないと決めたのか。仲良く暮らすことは不可能だったのか。ちょうど私と同じ年の頃のように、息子が今永遠に終わらない疑問と闘っているのが見て取れた私は、その葛藤を手に取るように理解しました。
私の本心はというと、まだこの出来事全部を脇にのけておきたかったのです。まだ心のどこかで当時のまんま残っている、整理のついていない部分なのかもしれません。このことになると、大きな痛みと後悔が押し寄せるのを避けることができないのです。しかし、今や息子が本当のことを知りたがっている。分かるように説明してもらうのを待っている。私は彼の質問を遮ることができませんでした。
私の答えは完璧ではなかったかもしれない。けれども、私の足りない言葉はプールの帰り道の会話には十分だったかもしれません。私が両親から受けた説明は、彼らの結婚生活で起こった多くの失望についてでした。別々に分かれる道を選択するほとんどの夫婦がそうであるように、書類にサインをするずっと以前から、すでに気持ちは別れてしまったも同然の状態でした。
どこでそうなってしまったのか。どの地点で、お互いの心が離れてしまったのか。本当のところは私にも分かりません。 子どもであった私が言えることは、 夫婦関係が終了したと思う時点よりも遥かに以前から、すでにお互いの感情を伝え合うことを放棄していたということです。両親の場合は、傷つけ合い、ののしられた言葉が関係を悪化させたのではありません。むしろ掛け合う言葉そのものが足りなかったのです。 水をかけてもらえずにしぼんでしまった花のように、関係をつなぐ言葉そのものが十分に交されてはいませんでした。それが二人の関係を少しずつ、しかし着実に蝕んでいるとは気がついていなかったのです。
そして他人同士になりました。 父は家庭を顧みずに働き過ぎたのかもしれません。母はある地点で最善の選択ができなかったという後悔が今でもあるようです。どのような理由であったにしろ、当時の彼らの会話はすっかり干上がり、二人の関係には親密さがとうに欠けていました。愛のある言葉、相手を労る言葉は、もう長いこと話していない外国語のように、話す意欲さえ放棄してしまっているようでした。以前には確かに愛の宿っていた関係が、いつしか言葉を掛ける行為さえも不自然になったということなのでしょうか。何十年も後の、あの日の握手が今でも象徴しているように。
その晩、私と妻を初めて出合わせてくれた言葉を、もっと使うのも悪くないと考えました。夫婦の関係は、もっと饒舌であってもよいのかなと。言葉の数と、そこに気持ちと意図が込められているならば。でなければ、意味の薄い言葉をどれだけでも並べるのは、人にとっては実に容易いことなのですから。
子どもたちは両親の様子に敏感です。そして会話にもよく聞き耳を立てています。それはきっと自然にそうしているのでしょう。私たちが子どもたちにできる最大の贈り物は、お互いに自分を捧げ合うという姿勢を示すことです。私たちの言葉を通して。口任せでもなく、ぶしつけでもない、思いやりの言葉が飛び交う日常を一緒に過ごすこと。子どもたちは、親からのそのような贈り物をきっと期待しています。それは、私たちがそのような言葉を口にすることからのみ始まります。